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神輿の起源とは?日本の伝統に根付く4つの説を紹介
神輿(みこし)は、日本の祭りで神様を乗せて町中を練り歩くための特別な乗り物です。その起源にはさまざまな説があり、古代の戦いや天皇の乗り物、祭壇から発展したものなど、いろいろな物語があります。
今回は、神輿の歴史について分かりやすく紹介します。
神輿の起源となる4つの説
八幡神を乗せたのが起源説
お神輿が誕生したのは奈良時代(西暦720年)の隼人の乱という説があります。
その理由は、八幡宇佐宮御託宣集(はちまんうさぐうごたくせんしゅう)という書物に初めて神輿のことについて書かれているからです。
この時代、九州で「隼人の乱」という大きな反乱が起こり、天皇は「武運の神様」として知られる八幡神(宇佐八幡宮)に、反乱の鎮圧と国の平和を祈願しました。八幡神は天皇の願いを受け入れ、反乱鎮圧を助けることに。
その際、八幡神を神社から運び出して九州へ移動するために作られたのが「お神輿」だとされています。このお神輿に八幡神が乗り、九州まで運ばれ、無事に反乱が鎮められたという伝説も残っています。
この神輿は、後に大仏を作るときにも使われたそうだ!
参考:神輿の起源
参考:八幡大神ゆかりの伝承
天皇の乗り物が起源説
次に紹介するのは、天皇の乗り物が起源になった説です。
奈良の東大寺の大仏は、日本を代表する歴史的な仏像で、多くの人が知っていると思います。この大仏が作られたきっかけは、聖武天皇が「国の平和と人々の幸せを願う象徴を作りたい」と考えたことでした。
しかし、大仏はとても大きく、費用も莫大だったため、聖武天皇は貴族たちの反対を心配していたのです。
そんな中、宇佐八幡宮の八幡神が「必ず大仏を完成させましょう!」というお告げが天皇に伝えられたとされています。天皇はこのお告げに勇気づけられ、八幡神を奈良にお迎えすることを決めました。
八幡神を迎える際、天皇のために特別な乗り物「鳳輦(ほうれん)」が用意されました。この鳳輦が神輿の起源になったという説です。
天皇の乗るので、屋根に金色の鳳凰が輝くとても立派な乗り物になっています。
奈良の大仏を作る際だから、西暦749年のことだ!
参考:先見創意の会
祭壇起源説
最後は、古代の狩猟時代の収穫祭が起源になった説です。
縄文時代や弥生時代には、みんなが豊作や狩りの成功を神様に感謝するために収穫祭をしていたそうです。その時、神様へのお供え物を置くための祭壇があって、これが後に「お神輿」になったんだそうです。
当時の人々は、今のようにずっと同じ場所に住んでいたわけではなく、豊かな土地を求めて移動していました。なので、神様を置いていくわけにはいかないですよね。みんなで祭壇を担いで一緒に運んでいたんです。これが「お神輿」のはじまりとも言われています。
この説を採用している観光協会等では、神輿のことを「持ち運び可能な神社」として観光客に説明するそうだ!
イスラエルの聖櫃が起源になった説
神輿の起源がイスラエルの聖櫃(別名:契約の箱)だったという説も存在します。
いやいや、そんなわけないだろ!と思うかもしれませんが、神輿と契約の箱には多くの類似点があるそうです。
例えば、イスラエルの「契約の箱」と同じような形をした神輿を祭の神事に用い、それを大勢で担ぎながら歓声をあげながら神様をお祭りする民族は、世界中を見渡しても日本以外には見当たらないということ。
また、2本の木の棒で担ぐことや、金箔で覆われていること、屋根の上には羽を広げた飾り付けがあることなどが理由とされています。
契約の箱の場合は天使(ケルビム)の像ですが、神輿の場合は鳳凰などのが鳥が装飾されています。
このような類似点があることから、神輿はイスラエルの契約の箱を参考にデザインされた可能性も考えられています。
この他にもたくさんの類似点があるぞ!詳しく知りたい方は、下記の参考文献に目を通してくれ!
参考:神輿の起源と祇園祭の関係
参考:日本とヘブライの共通点
参考:剣山ソロモンの秘宝伝説
神輿の広がり
このように神輿の起源にはいくつかありますが、日本各地に広まったのは平安時代(794年~1185年)です。
この時代、京都を中心に「御霊信仰」が盛んになり、悪霊や疫病を祓うためにお祈りが行われました。
最初は京都で始まりましたが、その後、大阪や奈良、さらには全国各地にお神輿が広がっていきました。そして、室町時代(1336年~1573年)になると、各地の村祭りなどでお神輿を担ぐ習慣が広まりました。
まとめ
- 神輿の起源については多くの説がある
- 日本各地に広まったのは平安時代
神輿について興味が出た方は、下記のページも参考にしてくれ!